國王神社 〜坂東に吹く向かい風〜 (2017.7.1)

かつて現在の茨城県坂東市には坂東武者の独立政権を夢見て散って行った1人の英雄がおりました。その名を桓武天皇五世の孫・平将門といいます。
将門は当時の藤原氏の悪政に反発し、関東一円の国府を攻め落とし、ついには「新皇」を名乗って独立政権を打ち立てるに至ります。


坂東市総合文化ホール「ベルフォーレ」に立つ将門像

でも将門の政権は長続きしませんでした。
なるほど確かに、将門は実力・人望共に備わった正に英傑と呼ぶにふさわしい人物です。
自らの所領を侵害してきた叔父たちの連合軍を軽く蹴散らしてしまった戦上手であり、武士と武士、国司と農民のモメ事も見事に仲裁するという親分肌。そんな将門が独立国を打ち立てたのだから、最初の頃は関東一円の武士は揃い揃って将門万歳と持て囃しました。
でもいざ中央政府から正式な将門討伐の軍勢が送り込まれるとなると、最初は将門に従っていた武士たちも及び腰となり、次々の将門の下を離れて行ったのです・・・


そして追い詰められたのが下総国猿島郡

将門討伐軍の総大将の名は平貞盛。かつて将門との所領争い末に討ち取られた平国香の嫡男で、その後も将門と幾度となく戦っては敗れて来た宿命のライバルです。今度こそは将門を倒す! そう意気込んで来た貞盛は、自らが正式な官軍であることを大大的にアピールして将門軍の戦意を削ぎ、更に武勇名高い下野の豪族・藤原秀郷を仲間に加え、準備万端で最後の戦いに臨んでいたのです。


本拠地で迎え撃つぞ!

貞盛・秀郷の軍勢4000に対し、将門軍はわずか400・・・それでも将門は地の利を生かし、追い風に乗ってビュンビュンと矢を射かけて敵軍を圧倒します。
でもそれも束の間、やがて風向きが変わると将門の額に一本の矢が命中し、ついに討ち取られてしまったのでありました。


その地に立つのが國王神社

将門の首はそのまま京都に運ばれて晒し物にされたのですが・・・なんと!その首は突然宙を舞い、遥か江戸に地まで飛んで行ってしまったのです!
その将門の首が落ちて来た地には祠が建てられ、現在でも東京の一等地ド真ん中に神田明神平将門首塚として祀られております。


英雄よ安らかに・・・

将門が志半ばにして倒れた地は現在、薄暗い静寂に包まれた雑木の林となっております。そこにはかつて日本史上唯一、皇族以外で天皇(新皇)の名を名乗った英傑が最後の戦に臨んだ古の決戦場であったという形跡などまるで残されておりません。


坂東の英雄に一言ささげます。

現在の坂東の地には、緑豊な田園あふれる田舎平野が広がっております。この地がかつて、関東一円を支配した英傑の本拠地だったという面影などまるで感じることができません。
でもこの静かのどかで平和な現在の坂東の姿こそが、将門が目指した新たな国の形のように思えてなりません。


國王神社
茨城県坂東市岩井951
http://www.kokuou.or.jp/


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