井伊谷城 〜弱小おんな国人直虎〜 (2021.12.11)

今日は今から4年前、2107年の大河ドラマ「おんな城主直虎」の舞台となった井伊谷城に行ってきました。


井伊谷の里にようこそ

アタシは基本、大河ドラマを見る人では無いのですが、本作とその前作「真田丸」はアタシの興味を引く要素満載だったので全話視聴して多いに楽しませてもらったものです。ではこの2作に共通する面白そう要素がなんだったのかと言うとそれはズバリ、"国衆"の物語であるという点です。ではこの国衆とはなんぞや?と言えば、大名と呼ぶほどの領地を持たない地方豪族小領主のこと、あるいは国人などと呼ばれる存在であるということは、当サイトの常連さんにとってはご存じ常識のことかと思います。


あの山の上が井伊谷城

ってことでおんな城主直虎のストーリー&世界観を思いっきり簡単に説明すると・・・

・井伊谷の地を治める国衆・井伊氏は大大名・今川家の属国のような存在であり、その命令に逆らうことができずいつも無理難題を押しつけられており、

・時の井伊家の当主は直虎の父・直盛なのだが、今川のポチ状態の直盛のことをよく思わず、今川と手を切って北条家と結んで当主の座を狙う一族がいて、

・本来は井伊家の家老でありながら、今川の息がかかった目付の小野氏が井伊家のことを監視し今川家に報告している。

・その後結局、小野氏の暗躍もあり北条派の一族は討伐されて家内は親今川で統一されるのだが、その今川からの命令で桶狭間に出陣した当主の直盛が討ち死にし、

・今度は桶狭間で当主・義元を失って瓦解していく今川に忠義立てるか、それとも今川家から独立した新興勢力の徳川家康と結ぶかで井伊谷の国衆たちは真っ二つ。さらに弱体化した今川を取って食おうと虎視眈々な武田信玄まで介入してきた井伊谷の国衆と女城主直虎の運命は!?

ってな感じで、これがもう絵に描いたような弱小国人領主の話だったのです。
信長秀吉家康や、武田上杉毛利伊達などと言った戦国を彩る華やかな英雄譚が面白いことは勿論ですが、こう言った戦国の最前線最末端を生き抜いたの泥臭い物語というのも非常に興味深いものですよ。


井伊谷城の入り口。城門なんてありませんw

そんな井伊谷城ですが、これがまたもういかにも典型的な国人領主の小城という感じで思わずフフっとなってしまいましたw


これは後から作られたものっぽい


まずはこの井伊谷城、たどり着くまでエラく苦労させられました(><)
グーグルマップで目の前の山というか丘が井伊谷城であることが分かっているというのに行けども行けども入り口らしきものが見つからず、丘のまわりをぐるり一周してようやく↑の入り口看板を見つけた次第でありました。


これは出丸っぽいな

ですがこの井伊谷城、見ての通り大河ドラマ仕様になかなかどうして綺麗に整備されていたのは嬉しい限りです。でも逆に考えると、大河バブルの急ごしらえ整備をされてようやくこの有様ってことは、それ以前は全くもっての埋もれた古城だったんでしょうね。


これでもいちおう本丸跡

以前に日本の戦国時代にはかつて数千単位の山城があったと書いているところですが、このレベルのものを城と呼ぶということは、日本国中ありとあらゆる丘や小山の大半は城跡だったのではないかと思わされますね。


おんな城主直虎が治めた井伊谷の里

先ほども書いた通り、おんな城主直虎はアタシの大好きな弱小国人領主の実態をキメ細かに描いた戦国ファン必見の良作だと思います。今回はその舞台となった井伊谷城跡&井伊谷の里まで足を延ばしてみて、そのスケールの小ささに妙な感動を覚えてしまいました。
さあ皆さんも、真田丸やおんな城主直虎を見て、弱小地方国人領主とその城&里の持つなんとも不思議な魅力の虜になってみませんか?


おもしろかったです☆おんな城主直虎


井伊谷城
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷306


お昼ごはんは浜松餃子♪


帰り道の新東名高速浜松SAでのおやつタイム(^^)


そういえばこの井伊谷城を訪れるに当たり、アタシが戦国時代に興味を持ち始めた小学校6年生当時、アタシの日本史の師匠とも言える6才年上の兄のことをふと思い出しました。
アタシが学研まんが人物日本史シリーズの織田信長や真田幸村、北条早雲と言ったお気に入り戦国人物伝を読んでいると、兄は「土豪」と「土塁」というフレーズをやたら連発して来たのです。ちなみに「土豪」ってのは国衆や国人と同義語です。

「戦国時代に実際の戦の最前線に立ったり土地の支配をしていたのは「土豪」だったんだぞ。真田幸村なんかは典型的な土豪の一族だな。」

みたいなこととか、

「戦国時代の城には石垣なんてあまり使われて無くて、殆どが「土塁」だったんだぞ。上杉謙信の春日山城なんかは典型的な土塁だけの城なんだからな。」

みたいなことをやたら言っていたことを思い出しました。
さてそんな兄はアタシが中学に上がると同時に上京し、それからは盆暮れ正月にしか会わなくなり、今では数年に1度合うか会わないかという存在なのですが、未だアタシ的にはこの兄というと、「土豪」と「土塁」と「補給」が大好きな人というイメージです。(兄は補給について語るのもやたら好きでした。)
今やいっぱしの"自称"日本史中級者となったアタシですが、思えばこのサイトを立ち上げてからずっとこの兄同様、やたらと土塁と国衆を押しているようなw
血は争えないということなのか、あるいは土塁&国衆を押したくなるというのは、戦国中級者が避けて通ることができない登竜門ってことなんでしょうかね?


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