飯盛山〜鶴ヶ城 〜白虎隊と桜のお城〜 (2011/5/3)

★飯森山 〜死ーんでしまぁったー白虎〜隊〜♪〜

飯盛山と聞いて真っ先に思い出すフレーズがこれです。ってことでとりあえず飯盛山とはなんぞやというのを知らない人のために簡単に解説すると…
戊辰戦争の際に朝敵とされてしまった会津藩は官軍にその居城・鶴ヶ城を包囲されてしまいます。で、城を出て戦っていた少年兵士で編成された白虎隊がこの飯盛山の山腹から鶴ヶ城を見てみたら、周りの城下町が燃え盛っているのを見て城が落城したものとカン違い。これはもうダメだと隊士20名が全員切腹してしまうという、そんな悲劇があった場所がこの飯盛山です。



今は一大観光地に

アタシがこの飯盛山を始めて訪れたのは、小学校の修学旅行のときでした。あれから25年ほどが経ちましたが、そんな悲劇のあった飯盛山には、今でも訪れる観光客は絶えません。


鶴ヶ城を臨む白虎隊の石像


あの城のあたへんが燃えていたのか…

白虎隊切腹の地には慰霊碑が建ち、実際に鶴ヶ城を見ることも出来ます。
かつて無い悲劇の舞台から実際に鶴ヶ城を見る…アタシが是とする、何かがあったその場所に行って当時の人たちの気持ちを体感するにはこれほど感慨深そうな場所も無いような気もするのですが、ごめんなさいアタシは何故かこの場所では全然そんな気分にはなりませんでした(^^;
何故と言われても、アタシは白虎隊の悲劇というものに対して特に感情移入できないからとしか言いようがありません。それは何故と言われてもうまく説明はできませんが…
で、そんなことよりもアタシがかつて小学生時代にこの飯盛山に来て一番インパクトが強かったのは、大広場で浪曲のような歌に合わせて白虎隊の悲劇を演じて踊っている女の人の存在だったんですよ。その一部のフレーズがタイトルに書いてある「死ーんでしまぁったー白虎〜隊〜♪」ってヤツなんですよね。果たして今でもあの人たちはいるのかなあと、実のところアタシの飯盛山での一番の関心事はこれだったんです(爆)


あの時のおねーさんはどこ?

…残念ながら歌って踊っている白虎隊コスプレおねーさんはおりませんでした。あの人たちって今はもういなくなっちゃったのかなあ…いったいいつから…あれが無ければ飯盛山じゃなーい!! …と、そんなどーでもいい寂しさを感じた飯盛山でした。


飯盛山 JR会津若松駅から5キロくらい

白虎隊度/★★★

★鶴ヶ城 〜桜吹雪の舞うお城〜

次はかつて小学校の修学旅行で飯盛山と時同じくして訪れた鶴ヶ城に突撃です。
で、先ほどの飯盛山で解説したとおり、この鶴ヶ城は戊辰戦争においてはなかなかどうしてな激戦地だったはずなのに、何故かアタシ的にはあまり興味の無い史跡だったりするんですよね(^^; この感覚はうまく説明することは出来ませんが…とにかくココはアタシ的には「史跡」ではなくて「観光地」って位置付けなんですよ。ってことで今回の作戦でも鶴ヶ城は一つのメジャー観光地と思って訪ねてみることにしました。
ちなみにアタシは小学校6年生のときにはすでに自称歴史オタクだったのですが、その当時にしても「鶴ヶ城なんて再建の天守閣なんだから大して見る価値も無いだろ」なんて斜に考えていたことを覚えております(^^;


桜が綺麗☆

ああやっぱり、ココは史跡っていうよりかは桜の名所と言った方がいいな。てか桜の木多すぎだろしかも花びら舞う桜吹雪が美しすぎるだろ(><)


桜の流れる川

堀を流れる花びらの川なんて初めて見たけれど、これヤバいくらいに綺麗です。


桜で守られたお城?

鶴ヶ城の天守閣を守るのは、堀でも石垣でもなく桜の木です!…ってのが冗談に聞こえないくらいそれは見事な桜の林でした。


天守閣から見た飯盛山

かつて石垣山一夜城から小田原城を見たときは、言われ無き感動を味わったものでしたけど、この鶴ヶ城の天守から飯森山の方を見上げても、特に感じるものは何もありませんでしたってか鶴ヶ城は桜のインパクトが強すぎるんですよ。
写真で見たとおり、この日の桜はもう満開から3分くらいは散っておりました。でもそのおかげでマジに花びらが吹雪のように舞う桜吹雪ってヤツを楽しむことが出来ました。しっかし桜吹雪もイイけれど、それじゃあこの桜が満開だったら、一体どれだけヤバいことになるんだろう…などなど、そんなこんなに桜のことばかりが頭に浮かんだ鶴ヶ城でした。


鶴ヶ城 JR会津若松駅から5キロくらい

お花見度/★★★★★


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