洞ヶ峠 〜多いに悩む?日和見の坂〜 (2020.9.2 山城)


本能寺の変後に起こった天下分け目の大決戦、明智光秀vs羽柴秀吉による天王山の戦いにおいて、この洞ヶ峠にて多いに迷い悩んだ男がおりました。その名を筒井順慶と言います。
戦国の覇王・織田信長を本能寺にて葬った明智光秀は京の都を制圧し、信長亡き後はぜひ自分に味方するようにと近隣の大名に呼びかけました。
一方、本能寺の悲報を受けた羽柴秀吉は、主君を殺した謀反人・明智光秀を倒そうと元・信長配下の大名に呼びかけます。
こうして畿内の大名たちは、光秀につくか?秀吉につくかの2者択一を迫られたのでありました。
大和(奈良県)の筒井順慶もまた、究極の選択を迫られた大名の一人でした。
順慶はもともとは独立勢力だったのですが、光秀の仲介あっせんにより織田グループの傘下に入ったという大名です。
ってことで順慶の立場としては、もともと信長の部下だったという訳ではないからあえて弔い合戦に名乗りをあげるという義理はありません。という訳で光秀の側につくという選択肢も大いにあり得ました。
・・・とは言ったものの、だからと言っておいそれ簡単に光秀に味方をするのかどうかと言えば話は別です。もし万一、負け馬に乗ってしまえば筒井一族が滅亡してしまうかもしれないのです・・・そこで順慶が下した決断はというと・・・


まずはあの坂まで行こう

大和から京に向かう途中にある洞ヶ峠まで進出してとりあえず様子見をして、勝ちそうな方に味方することにしたのですw
その結果、洞ヶ峠から5kmほど離れたところで行われた光秀軍vs秀吉軍の天王山の戦いの結果、どうやら秀吉が勝ちそうだということを見て取ってから秀吉側につき、まんまと勝ち馬に乗ることができたと言われおりますw
以来、どちらかに味方しなくてはいけない場面において、とりあえず様子見して勝ちそうな方に味方することを、「洞ヶ峠を決め込む」というようになったそうなw


大勢は決したようだぞ

ってことで今日はそんな順慶が洞ヶ峠を決め込んだ洞ヶ峠に出撃してきましたw
なるほどこの洞ヶ峠、ほんとに京都と大阪の府境の坂道の登り詰めの場所にあるんですね〜


看板の向こうは大阪府

そんでもってその記念すべき洞ヶ峠には現在、洞ヶ峠茶屋というものがたっております。
そういうことならアタシもこの茶屋に立ち寄ってぜひとも洞ヶ峠を決め込んでやらなければですよねw


こりゃイイ感じの茶屋だ(^^)

ぼた餅を食べるかわらび餅を食べるか! う〜ん、究極の洞ヶ峠な選択ですw
どっちも超おいしそうなんだけど、腹具合とその後に食べる予定の近江牛ステーキのことを考えると、ぼた餅はちょっと重すぎるかなという結論に達し、わらび餅をおいしく食べてみごと勝ち馬にのることができました♪・・・ってなんか違いますね(^^;


マジで悩みましたw

もっともその洞ヶ峠の話も本当かどうかは微妙で、むしろ洞ヶ峠に出陣したのは光秀の方で、順慶は一貫して秀吉寄りだったという説の方が有力になっているところなんですけどね(^^;


わらび餅おいしかった〜☆

でもそういう細かいことはイイのです! 古くは昔から日和見のメッカとして語り伝えられて来た場所で日和見をキメ込んだ☆それでイイですよね? とんだ濡れ衣?をきせられている筒井順慶にとってはイイ迷惑名誉棄損も大概だとは思いますけれど(^^;
ちなみに筒井順慶にはもう一つ、今現在まで慣用句として伝わる故事成語へのかかわりがあったりします。こちらの方は「元の木阿弥」という話なのですが、こっちの方もなかなかおもしろい話ですので、興味のある方はぜひ調べてみてください☆


洞ヶ峠茶屋
京都府八幡市高野道1



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