人取橋古戦場 〜老将咲かせし死に花〜 (2014.4.12)

戦国一の伊達男・伊達政宗が東北に覇を唱える第一歩とも言える「人取橋の戦い」の舞台となった古戦場です。この人取橋の戦いに関する経緯は、アタシが以前に訪れた小手森城〜二本松城の記事を読んで頂けたらと思います。また、併せて伊達政宗物語なども読んでいただけたら嬉しいところです。


政宗もこの道を?

この人取橋は、東京と青森を繋ぐ国道4号線上、福島県本宮市に位置しております。アタシは車で二本松方面からこの道を走ってきたのですが、今から430年ほど前に伊達政宗も同じ道を進軍して行ったのかと思うと胸が熱くなりましたね。


こんなにショボい橋なのか!

さて伊達政宗軍5000と東北連合軍30000が死力を尽くして奪い合った橋とはどんな激戦地だったのだろうと思いきや、合戦場記念碑から一番近い場所にあったのがこの小さな橋でした(^^;


それともこっち?

こっちは記念碑からもう少し離れた国道4号線にかかっている橋です。そもそも流れている川自体がエラくチョロチョロ川なので、どちらにしても、人取橋とはかなり小さな橋だったことは間違いないでしょう。


人取橋古戦場全景

この人取橋の戦いでは、伊達軍団随一の猛将・伊達成実が大劣勢状態の中で獅子奮迅に無双して勝利をもたらしたとのことです。もしかしたらこの小さな川にかかる橋の上で、長坂橋の張飛状態が出現していたのかもしれませんね。


老将よ安らかに

人取橋の戦いは、結果としては勝利に終わったものの、どちらかと言えば政宗にとっては反省点の多い薄氷を踏むようなギリギリの戦でした。
あわや討ち取られる寸前まで追い詰められた政宗を救ったのは、鬼庭左月という齢73にもなる伊達家の老家老でした。左月といえば、かつて大河ドラマでいかりや長介が演じた爺のことだと言えば分かる人も多いのではないでしょうか。
左月は、政宗を逃がすために身代わり殿を務め、壮絶な戦死を遂げたのです。でもきっと左月は、政宗ならこのままただ負けるようなことは決して無く、必ず東北の覇王として飛翔して行くことを信じて死んで行ったのではないでしょうか? 政宗もまた、この愛すべき爺の死を大きな心の糧として成長したのではないかと思います。
この人取橋古戦場の碑は、自らの命を賭して政宗を守った老戦士、鬼庭左月の墓所に立っております。

人取橋古戦場
福島県本宮市 東北道本宮インターから仙台方面へ5分くらい


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