花の御所 〜影が薄いよ室町幕府〜 (2020.3.7)

果たして「花の御所」という名前を聞いて、それが室町幕府の政所だったということを知っている人がいったいどれだけいることでしょう?
っていうかそもそも室町幕府自体、日本史上に誕生した他二つの幕府に比べるとずいぶんマイナーな幕府なのではないかと思います。まずは開祖の足利尊氏からして鎌倉幕府を開いた源頼朝、江戸幕府初代将軍・徳川家康に比べると、よく分からない人というのが一般的イメージではないでしょうか?
また、江戸幕府における江戸城、いざ鎌倉!の鎌倉幕府に比べると、室町っていったいどこなんだよって感じですし、"花の"御所っていう名前からして軟弱感にあふれております。
室町幕府は初代尊氏がキップよく配下の武士たちに土地をバラまきまくったために、将軍家たる足利家には直轄の領地や軍隊というものが殆どありませんでした。そんなこんなで室町幕府は設立当初から権力基盤が脆弱で、歴代将軍もその殆どがロクな目にあっておりません。ってことで簡単に室町15代将軍がどれだけ不幸だったのかを簡単に解説すると・・・

初代尊氏:
この人のときに朝廷が南北に別れる。腹心であった弟の直義と骨肉の争いを繰り広げる。

二代義詮:
空気の薄い人。南朝に京都を奪われて落ちること2度3度あり。

三代義満:
南北朝合一を成し遂げ有力大名の統制に成功、絶対権力者になり天皇家の簒奪まで図るものの、その直前に急死。(暗殺の可能性濃厚)

四代義持:
可もなく不可もなく将軍職を務めあげるも自身の死に際し、「後継者には誰を選ばれるのですか?」と問われ、
「自分が誰かを指名しても、有力大名の支持を得られなければどうしようもない」と答え、後継者を決めないまま死亡。

五代義量:
有力大名の合義により17才で将軍になるものの、有力大名に全く頭が上がらず酒浸りの毎日を送り19才で急死。

六代義教:
史上唯一、クジ引きによって選ばれた将軍。そのため自分を推挙した有力大名というものが存在しないためそのしがらみに捕らわれることなく独自の政治を展開。三代義満と同様、有力大名の統制に成功し、絶対権力を握るもその絶頂期に暗殺される。

七代義勝:
義教の急死により8才で将軍となるも9才で早世。

八代義政:
有力大名と側近の間で優柔不断な態度をとり続け、応仁の乱を引き起こす。最後は銀閣にて悠々自適の生活を送る。

九代義尚:
応仁の乱後、一時的に将軍家の権威を回復するも、反乱を起こした六角高頼を倒すべく諸大名を率いての親征中に病死。

十代義植:
諸大名の合議により擁立されるも、管領・細川政元と対立し失脚(明応の政変)京の街を追われて流公方と呼ばれるようになる。なおその後、十一代義澄から将軍職を奪還するも(後述)その後またまた有力大名の支持を失い京を追われる。

十一代義澄:
細川政元に擁立されるも、もちろん政元の傀儡以上の存在にはなり得ず。政元死後、中国の大大名・大内義興に担がれた先代流公方・義植に京を奪還され近江に落ち延びそのまま死去。

十二代義晴:
義植派諸大名と義澄派諸大名の和睦により、間をとるような形で11才で将軍に擁立される。その後は諸大名の抗争に巻き込まれ続け、京都を落ちること2度3度。最後は近江の地で死去。

十三代義輝:
衰退しきった将軍家の権威を取り戻そうと精力的に活動。だがそれを目障りに思った一派により暗殺される。その最後は自ら将軍家秘蔵の名刀を畳の上に刺し並べ、襲い来る刺客をばったばったと斬り伏せたとの伝承があり、剣豪将軍と呼ばれる。

十四代義栄:
義輝を暗殺した一派に擁立されるも、反対派大名の猛反発を受け、最後まで京に入れないまま死去。


一五代義昭
織田信長に擁立されて京に入り将軍となるものの、信長の傀儡であることに嫌気がさして信長と対立。信長包囲網を作り上げ信長を追い詰めるも結局は信長に敗れ京を追放される。最後は豊臣秀吉の御伽集として余生を送る。
※詳しくはこちらをご覧ください。

改めてこうしてみてみると室町将軍、有能が故に殺されるか、操り人形として諸国を流浪するパターンが大半ですね(^^;
そうかと思えば一番悠々自適な生涯を送ったのが日本最大の乱を引き起こした足利義政というのもなんともはや面白いものです。

ってことで今回はこの貧乏くじばかりを引かされる室町将軍の政庁御殿、花の御所跡を訪ねてみたのですが・・・


室町通りっていうからこの辺かな?

グーグルマップで表示されたあたへんに来たのですが、一向にそれらしいものが見当たりません(^^;


・・・もしかしてあれ?

お?なんか石碑みたいのを発見! でもまさかあの床屋さんが・・・?と思って近づいてみると・・・


やっぱりこれで合ってるじゃん!

はいなんと!日本史上たった3つしか存在しない幕府のうちの一つがあった場所にある史跡はこれだけでした(><)


近くに咲いていた桜(※たんなるイメージです)

かつて足利義満の全盛期にはきらびやかな花にあふれていたから花の御所と呼ばれていたというのが今ではこのありさまです。


すぐ近くに市役所分庁舎がありましたけどね

花の御所の石碑から100m近く離れたところにあった市役所の分庁舎の前はちょっとした花壇になっておりました。まさか花の御所をイメージしてそうしている訳ではないと思いますけどね(^^;
いざ実地に花の御所を訪れてみて、なるほどやっぱり世間一般的には誰が何をしたのかよくわからない影の薄い室町幕府なんだなと実感させられました。


花の御所
京都市江地下鉄 今出川駅の近く



◆◇◆ お便り感想♪
こちらの掲示板にてお待ちしております(^^) ◆◇◆


戻る

inserted by FC2 system