有岡城 〜信義と友情の激戦地〜 (2014.2.18)

先日、飛行機にて大阪に出張してまいりました。大阪の飛行場と言えば伊丹空港なのですが、そういえば有岡城があったのがその辺だったような気がしてみたので、ちょっくら調べてみたらビンゴです☆ 有岡城跡は伊丹空港もよりの駅、伊丹駅のすぐ隣にありました。


本当駅前公園なんだな

電車を降りて改札をくぐったすぐ先に、いかにも急ごしらえで作りたてって感じの案内が出ております。大河ドラマにあやかって急遽整備したんだろうな感がありありですよ。
ってことでこの有岡城がどんな城なのかと言いますと、今をトキメく大河ドラマ・黒田官兵衛を語るのに、絶対はずすことが出来ない重要な城なのですよ。


ゆるキャラまでいやがるw

黒田官兵衛が羽柴秀吉の軍師として、この有岡城より更に西方の毛利勢力圏にある三木城攻略戦に参加していたある日のこと。それまで織田軍団の一員だった有岡城主・荒木村重が突如裏切ったとの報が飛び込んで来ました。

「ええっ、まさかあの村重殿が!?そんなのぶっちゃけありえなーい!きっと何かの間違いだ!」 

村重とは旧知の仲だった官兵衛はそのように思い、村重の真意を確かめ説得するために有岡城へ赴いたのです。…が!

「ええいうるさいうるさい! オレは血迷ってもいなければ信長のヤロウの下に帰る気もねえ! っていうかむしろお前の方こそオレに味方しやがれ! さもなくばお前は絶対にココからは返さん!」

官兵衛は村重に捕らえられてしまい、地下牢に幽閉されてしまったのでありました。


ココから出してくれー!

さて官兵衛を送り出した秀吉陣内…

秀吉:
「官兵衛のヤツ、有岡城へ行ったまま戻ってこないが…まさか裏切ったなんてことはありえんよのう…」

秀吉軍もう一人の軍師・竹中半兵衛:
「あの官兵衛殿に限ってそのようなことは断じてありえません!」

秀吉:
「ワシもそう信じたいところなのだが…でも信長様はそのようには思っておらぬ…」

秀吉と竹中半兵衛は官兵衛の身を案じ心配しておりました。でも、秀吉軍団の総元締めである織田信長は、完全に信じきって有岡城を任せておいた荒木村重に裏切られたことから疑心暗鬼に陥ってしまい、秀吉と半兵衛に対し、官兵衛の息子を殺してしまうように命じてしまったのです…


官兵衛は何処だ!?

官兵衛が捕らえられてから1年後…裏切り者の始末を命じられた秀吉の軍勢が、大激戦の末に有岡城を攻め落とし、城内に突入してみると、なんと!そこには地下牢に閉じ込められてすっかりやつれ果て、満足に立つこともままならぬ官兵衛の姿があったのです!

官兵衛:
「と、殿…待ちくたびれました…ぞ…」

秀吉:
「おお官兵衛よ!無事でおったか!! こんなに嬉しいことはないぞよ!!!
 …が、すまぬ…すまぬ! ワシは取り返しの無いことをしてしまった!」

竹中半兵衛:
「殿、心配にはおよびませぬ! 某は官兵衛殿はきっと生きているものと信じておりました。故に信長様の命には従わず、官兵衛殿のご子息はこっそり匿っておきましたぞ!」

こうして瀕死の憂き目に遭わされて、自力歩行が出来なくなるという後遺症を負わされた官兵衛ですが、その不屈の闘志は多いに認められることとなり、秀吉の片腕として絶大なる信頼を得ることになったのでありました。
また、このとき助けられた官兵衛の息子・長政はその後すくすくと成長し、関が原の戦いでの大活躍によって福岡藩52万石の礎を築いたのでありました。
そんな超ファインプレーで長政の命を救った竹中半兵衛は残念ながらその後まもなく、三木城攻めの陣中にて36歳で没してしまいます。でも官兵衛と長政はその恩義を生涯忘れることなく、黒田家と竹中家は江戸時代を通じてもいつまでも友好を保っていたそうです。


友情の城跡

さてそんなドラマチックな戦いのあった有岡城跡。それなりに整備はされていたものの、大河ドラマフィーバーに沸いているというほどのものではありませんでした。案内板を見ても、↑のエピソードにはまるで触れられておりません。荒木村重のことについては少しは書いてあったものの、官兵衛のかの字も出てくることはありませんでした。歴代城主がどーのこーの、発掘調査がナンタラカンタラ一生懸命書いてあったってちっとも面白くないってのにねえ・・・
劇的な戦があった城跡の案内板を読んで見てよく思うことですが、もっともっと歴史の面白エピソードや英雄譚を書いて欲しいものですよ。その町その城の歴史エピソードそのものが、貴重な観光資源なのですから。

有岡城
大阪府伊丹市 JR伊丹駅となり


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