赤館城・立花宗茂 〜西国無双も見た雪景色〜 (2017.12.28)

戦国最強武将とはいったい誰か?
たびたび話題にしているところでありますが、その栄誉ある称号を得るにふさわしい資格を持った強者の一人に立花宗茂という人物がおります。
なんしろかつて天下統一を果たした豊臣秀吉が並み居る諸大名を前にして、

「東国一の勇者は本多平八郎(忠勝)、西国一は立花宗茂、東西無双の勇者がいれば天下も安泰であるな。」

などと褒めはやし、それを聞いた諸大名もこの二人ならばと納得し、あっぱれなものよと感服したというほどの人物です。
今日はその西国無双・立花宗茂が数奇な運命で城主となったことがある赤館城に行ってきました。


今となっては城跡とすら名乗っていない小さな城です

ってことでこの立花宗茂のことをもう少し詳しく解説します。
宗茂は九州筑後(福岡県)の生まれで年齢は真田幸村と一緒なので、戦国の華々しい舞台で全盛期を迎えた訳ではありません。という訳で実のところ、立花宗茂は戦場ではそれほど輝かしい戦歴を残していた訳ではありません。
にも拘わらず諸大名が立花宗茂を西国一の武者と言われても違和感を覚えなかったというのだから、それってむしろ逆にすごいものですよ。

なにゆえ立花宗茂は西国無双だったのか? その理由としてまずは彼のその血筋の良さがあげられます。それは源氏だ平氏だといった血統という意味ではなく、彼の2人の父親こそが正に西国無双と呼ぶにふさわしい人物だったのです。
実父の高橋紹運はわずか700人の手勢で籠城して島津軍数万を相手に一進一退の攻防を繰り広げ、その後700人全員が討死を果たしたという猛者中の猛者です。さらに婿入りした先の義父というのもこれまた凄い人物で、かつて雷に打たれて半身不随になりながらも輿にかつがれ最前線でエイトウエイトウ!と声を張り上げ陣頭指揮をとったという雷神・立花道雪です。またこの二人の猛将はただ強いだけではなく、滅亡寸前の主家・大友家に最後の最後まで義理立てしたという忠義の士でもありました。ちなみにこの立花道雪の娘が戦国無双シリーズにも登場している女城主・立花ァ千代です。

このような勇士の中の勇士といってもいい二人の父を持つ宗茂は、その忠義と勇猛をそのまま受け継ぎ、その後の豊臣秀吉による天下統一事業における対島津戦、肥後の国人一揆鎮圧などの九州戦線で紹運と道雪の息子の名に恥じない戦ぶりを見せます。その活躍により宗茂は豊臣秀吉に大いに気に入られて直臣となり、大友家から独立し、柳川13万石の大名に取り立てられたのでした。

その後の宗茂は唐入りにも参戦し、窮地に陥った加藤清正を命がけで救出するなど獅子奮迅の活躍を見せております。清正はこのときの恩を終生忘れることなく、のちに関ヶ原の戦いの際に西軍に味方したことにより改易取り潰しとなった宗茂の復権に尽力することになったのでした。
また、関ヶ原の戦いと言えばこんな話もあります。自分を大名に取り立ててくれた豊臣家への恩義に報いるために西軍に味方した宗茂が関ヶ原の戦いの敗報を聞いたのは関ヶ原の一歩手前の大津城を攻略中のときでした。そうなっては是非もなし。宗茂は本拠地柳川に戻るために大阪の港まで行ってみると、そこには同じく関ヶ原から敗走してきた島津義弘の姿があったのです。ボロボロの島津勢を見て、今こそかつての仇敵を討ち取るチャンスと進言してきた部下に対し宗茂は、

「島津家との因縁は共に太閤様に忠誠を誓ったときに全て水に流された。今は同じ大坂方に組みした仲間同士ではないか。」

と答え、満身創痍の島津勢に救いの手を差し伸べたのです。

そんな宗茂ですから関ヶ原の戦いの際には豊臣方に属して敗れ領地を没収されたものの、その人柄を惜しむ声は少なくありませんでした。そんな声に後押しされたのか、なんと家康の息子・秀忠は宗茂を再び復帰させたのでありました。
さて今度は大坂の陣が勃発する訳ですが、そのときはこれまたあっさり秀忠のアドバイザーとして東軍として参陣します。落ちぶれた自分を取り立て救ってくれたのは秀忠なのだからと、過去に豊臣方に属していたというしがらみなど関係ないというその態度こそが宗茂の真骨頂と言えるでしょう。
そもそも徳川家は大名であった自分を取り潰して浪人させた張本人だというのに、正々堂々戦った相手であれば恨みなどはないし、自分を取り立ててくれたのならその恩義には全力で報いるというのが立花宗茂という男なのです。


雪深い東北の山城で

秀忠によって大名として復帰した宗茂に与えられた領地は会津の赤館城下、棚倉という土地でした。宗茂の生まれは最初に紹介したとおり九州です。そんな南国育ちの宗茂が初めて訪れた東北の地において、その厳しい冬を迎えたときは、いったいどのような感想を抱いたことでしょう?

こんなガクブル厳寒の地で、それもたかだか2万5千石なれども、大名として復帰させて貰えただけでもありがたいと思ったか? 今回の復帰を皮きりに、いつか柳川の地に帰って見せると息巻いたか? いやいやきっと宗茂のことだからそんなことなど考えず、ただ目の前に与えられた領地をしっかり発展させようと全力を尽くしたことでしょう。


宗茂の頑張りの結果は・・・

その頑張りが認められたのか、結局宗茂はその5年後に、見事旧領・柳川11万石に復帰を果たしたのでありました。
関ヶ原の戦いで西軍方について一度は改易されたにも関わらず、後に大名にまで復帰したのはこの立花宗茂ただ一人です。最後まで徳川に下るのを良しとせず大坂城と運命を共にした真田幸村も忠義の士ですが、しっかり筋を通したうえでサッパリと過去のことを水に流して目の前の相手に全力で仕える立花宗茂もこれまた忠義の士なのではないかと思います。


棚倉の町を見下ろして

九州を代表する無双武将・立花宗茂。実は筆者が宗茂と隣県の福島県にこのような縁があることを知ったのはほんのつい最近のことだったりします(^^; 宗茂が最初に大名復帰したのは福島県棚倉の地にある赤館城だった!そのことを知った筆者が赤館城に向かったのはそのわずか2週間後のことでした。
大名としての復帰を果たした南国の英雄・立花宗茂は、初めて体験した冬の東北に対してどんな感想を抱いたのか? そんなことを感じたくて冬の赤館城に来てみた訳なのですが、今から500年前にきっと宗茂も自分の目の前に広がるのと同じ美しい雪景色を見たんだろうななんてことを考え、やっぱりこの時期に赤館城に来てよかったなって思いました。


赤館城
福島県東白川郡棚倉町棚倉字風呂ケ沢


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