八上城 〜大河で脚光?創作の悲劇〜 (2020.9.2 丹波)

戦国時代には丹波国と呼ばれたこの兵庫県中東部と京都府の西部には、波多野氏という戦国大名がおりました。その波多野氏が居城としていたのがこの八上城です。
・・・と言っても今回のお話の主役は波多野氏という訳ではありません。大河ドラマ「麒麟が来る」の主人公・明智光秀です。


丹波の山奥のお城です

明智光秀と言えば本能寺の変ですが、ではその本能寺の変に至る前の織田軍団における明智光秀のポジションがどのようなものだったかと言えば、織田軍団五大将の一人にして畿内制圧を担当する方面軍司令官だったのです。という訳でこの丹波の地にある八上城においても、明智光秀と当時の波多野氏当主・波多野秀治の間で激戦が繰り広げられたのでありました。


こりゃあ強そうな山城だ

さてこの八上城攻防戦においては、後の本能寺の変にも繋がったと言われる重要事件があったとの伝承があります。
波多野秀治は明智光秀との激闘の末、光秀に降伏することを決意します。ですが、降伏しますと城から出て来たところをバサリと斬られたら困るというので、その身の安全の保証のために光秀は自分の母を人質として八上城に送り込んだのです。そのことで安心した波多野秀治は八上城を出て安土城の織田信長に接見するのですが、そこでなんと!信長は光秀の母が人質となっていることなど百も承知で波多野秀治を磔にかけて殺してしまったのです!
そうなると黙っていられないのは八上城に残っている城兵たちです。おのれよくも騙したなと人質になっている光秀の母を磔返しにしてしまったのでした。
これでは光秀の母は信長に殺されたようなもの・・・その怨みが本能寺の変に繋がったというのがいわゆる本能寺の変・怨恨説の原因の一つに数えられているのです。


この城のどこかで悲劇が?

もっともこのエピソード、現在の研究においては江戸時代に創作された作り話であろうというのがほぼ定説となっております。なので筆者としてもこの話を信じている訳ではありません。
ですがこの八上城において、光秀が丹波攻略戦最大の激戦を繰り広げたというのは間違いありません。何しろ明智光秀が母を人質に送ってまでしてようやく開城させたという話が創作されるくらいなのですから、よほど堅固な山城だったんだろうなと思って来てみたところ、いやーひさびさに出ましたよw

「なんでこんなに出入りするのに疲れる場所に建てるんだYO!」

っていうガッチガチ山城でした。


いやこれかなりキツいぞ(><)

なるほどこりゃあ確かに、あの明智光秀をもってして攻略するのに5年もかかったっていうのも無理ないですね。


本丸攻略!

そんでもって、上記の光秀の母親が殺された伝承にはまだ続きがありまして、なんでも光秀はのちに苦労して平定したこの丹波の国を信長に取り上げられてしまったともいわれているのです。その代わりに羽柴秀吉と強力して毛利と戦って、出雲・岩見(島根県)を攻略したらくれてやるなどという鬼畜命令を受けたとか・・・


いやーマジ苦労しました

いえいえもちろん、この話にしても創作説が濃厚なのですが、そこまでされれば確かに本能寺の変を起こしたくなる気にもなろうってものですよね。


ようやく取った丹波の地なのに・・・


でも逆に言うと当時の人たちにしてみれば、こんな話が創作されるくらい光秀が謀反したっていうことが意外なことだったってことなのです。こればっかしは光秀本人に聞いてみなければわからないところですが、本当に光秀はなぜ大恩ある主君信長を殺したんでしょうね?


こりゃあ出来たの超最近だなw

ところで今回攻略した八上城、もしかしたらと思ったら、やっぱり大河バブルに沸き立っておりましたw
実のところこの八上城は2年前の夏旅のときに攻略するつもりだったのですが、時間の都合でままならなかった忘れ物の一つだったのですよ。
もしその時だったら、遺構ももっと荒れてたでしょうし、こんなに立派で楽しい案内板や幟も立って無かったことでしょう。


駐車場もよく整備されておりました☆

そう思うと2年越しの攻略戦で本当によかったと思います。
また、この幟に書いてあるところによると、麒麟が来るにおける本能寺の変関連のストーリーにはこの八上城攻略戦のことが重要に絡んでくるとのことですので、楽しみにしたいところです。


まさか波多野秀治までwww

※3kmほど離れたところにある丹波篠山のおみやげ屋さんにて



八上城
兵庫県丹波篠山市八上上字高城山



※このあと近くの篠山ってあたへんで色々食べ歩きをしました☆



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