若獅子神社 〜悲しき戦車の物語〜 (2020.8.22)

今日は静岡県富士宮市の若獅子神社に飾られているという97式中戦車を拝みに行ってきました。


ここが噂の若獅子神社

なぜ富士宮市なのかと言えば、この若獅子神社の建っている場所にはかつて若獅子と呼ばれた陸軍少年戦車兵学校があったからなのだそうです。


戦車兵が祀られているという若獅子の塔の奥には・・・

97式中戦車と言えば、太平洋戦争を通じての日本軍の主力戦車でした。そんでもってこの通称チハと呼ばれる97式中戦車なんですが、めちゃくちゃ弱いということで定評があります。
もっともこのチハなんですが、もともと最弱戦車だった訳ではありません。開発当初の1938年当時は他国の戦車と比べてもそこまで見劣りするものではありませんでした。
・・・が、問題はその1938年開発の戦車が1945年の終戦時まで主力戦車として使い続けられていたことなのです。
他国の戦車を見てみますと、戦車大国ドイツの主力戦車・4号戦車は1939年に戦場に登場して以来、D型、F型、F2型、H型と1943年まで改良を続けられております。さらにそのうえドイツ国防軍は、チハのことを同じ"戦車"と呼ぶには失礼なレベルの強力な、ティーガー、パンターと言った新型戦車などを開発し、絶えず戦場に送り込んでおりました。
また、日本軍の直接のライバル国、アメリカの主力戦車・1941年登場のM4シャーマンにしても、もともとがチハを遙かに上回る戦闘力をもちながら、終戦までたゆまずマイナーチェンジが加えられております。

さてこのチハなのですが、デビュー戦となった1939年のノモンハン事件時点においてすでに様々な欠点問題点が浮き彫りにされており、早急な改造あるいは新型戦車の開発が必要なことは誰の目にも明らかでした。にもかかわらず、日本陸軍上層部の間でアホな精神論と兵科ごとの妙な縄張り意識がはびこったあげくの結果、太平洋戦争の前線には最後までチハに変わる主力戦車が登場することは無かったのです・・・

という訳でアタシ的認識では、このチハは日本陸軍のダメさと弱さの象徴と言っても過言ではありません。
なのでアタシはこのチハが静岡県富士宮市の若獅子神社に現存していることは知ってはいたものの、わざわざ長旅してまで見に行きたいとは思っておりませんでした。ですがその認識は、先日読んだ光人社NF文庫「サイパン戦車戦」を読破することによって、大きく変えさせられることになったのです。


これを読んでこれを見て

まずはチハを実際に操っていた戦車兵について。チハそのものが時代遅れの骨とう品戦車であったことは残念ながらどうにもならない事実ではあったものの、それを操っていた末端の兵隊たちは決してそうでは無かったということです。
戦車兵は1人育てるには歩兵一個中隊分の手間暇予算がかかると言われ、遠く満州の地で月月火水木金金の厳しい訓練に明け暮れてチハを完璧に操りこなしたスーパーエリートの集団だったのです。
旧日本軍は将軍や参謀は最低レベルであったものの、末端の兵士と下士官は世界最強レベルだったと言われております。ですがそんな精鋭部隊がいくらがんばってみたところで、操っている戦車がチハである以上、逆立ちしたって米軍にはまるで歯が立たなかったという事実にアタシはなんとも言えないもの悲しい気持ちになってしまいました・・・

また、本書に書かれていたこの錆び付いたチハがどのような経緯を持って若獅子神社に奉られることになったのかという話を読むに及び、筆者は今すぐにでもこのチハに一礼しに行かなくては気がすまないという思いに駆られたのです。

先ほど書いたとおり、チハを操る戦車兵たちは遙か北の満州の地で地獄の猛訓練に明け暮れておりました。ですが1944年4月のこと、戦局の悪化に伴い、この満州関東軍の戦車部隊は遙か南方のサイパン島に転属させられることになったのです。そう、のちに民間人含む5万人以上の日本人が玉砕することになるあのサイパン島にです・・・
そもそもが氷雪ちらつく平原での戦闘を前提の戦いを極めつくした彼らが、熱帯ジャングルでの戦闘にかり出され、しかも実戦のなんたるかを分かっていない上層部の無茶な命令で強大なアメリカ軍陣地への突撃を命じられたのです・・・いかに彼らが不屈の闘志を持った最精鋭の戦車兵だったと言えど、最弱の戦車をもってして不慣れな作戦にかり出されたのではどうしようもありません・・・結果、チハを主力とする戦車第九連隊44両の戦車は、わずか4時間の戦闘でアメリカ兵のバズーカ砲によりあっさり全滅させられてしまったのでありました・・・・

それから戦後25年が経ち、戦車第九連隊の生き残りの戦車兵・本書の筆者である下田四郎氏がかつての戦友たちを慰霊しようとサイパン島を訪れた際に、砂に埋もれ錆び付いた一両の戦車に出会いました。それこそがあの最後の突撃で撃破されたチハのうちの一両だったのです。
下田氏はこのチハをなんとか故国に連れ帰りたいとサイパン当局に交渉します。ですが下田氏の前には所有権と外交の問題、ほかにも採掘、荷揚げ、輸送、検疫などなど幾多の困難が待ち構えておりました。しかし下田氏が満州とサイパンで培った若獅子魂は伊達ではありません。苦節3年、全ての問題をクリアしてついにあのときのチハを日本に持ち帰ることが出来たのでありました。それこそがこの若獅子神社に奉られているチハなのです。


ついに帰って来たチハ!

そのような謂れを知ってのうえで訪れたこの若獅子神社のチハ・・・鳥居をくぐって遠目にその姿を見た瞬間、アタシの目には大粒の涙がこぼれてしまいました。


よくぞここまで(T T)

このボロボロ満身創痍な姿はアメリカ軍相手に立派に戦い抜いたものなんだと思うと、必ず負けると分かっている絶望の作戦と知りながらも勇猛果敢に戦い散って行った先人たちのことを思うと・・・泣かずにはいられませんでした。


実物は圧倒的大迫力でした

アタシがこの若獅子神社を訪れるきっかけを作ってくれた光人社NF文庫・下田四郎著「サイパン戦車戦」は、ものすごく面白い本でしたのでぜひ一読のオススメをします。
下田氏の体験した戦車兵になるための猛訓練から地獄の戦車戦を経てサイパンのジャングルでのサバイバル生活、アメリカ軍の捕虜となってから帰国してチハを本土に連れ帰るまでの壮大な物語・・・それは熱く悲しく、読む者の心を震わせてくれるでしょう。


若獅子たちよ安らかに・・・

若獅子神社
静岡県富士宮市上井出2317の1



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