白石城・片倉小十郎 〜俺が行かずば誰が行く〜 (2015.5.2)

戦国時代の名軍師と言えば? 大原雪斎から山本勘介、黒田官兵衛に竹中半兵衛、直江兼続などと言った名前が挙がるのではないかと思います。そんでもって軍師と言うのはどんな人物のことを指すのかと言えば、ただたんに優秀で強かった知勇兼備の将というだけでは軍師とは呼んで貰えません。
そもそも戦国時代には軍師などという役職は存在していないと言ってもイイのですが、それなら軍師とは何ぞや?と言えば、一般的なイメージとして、主君の片腕となって様々なアドバイスをした人物のことを指すのではないかと思います。そういう意味において、戦国時代最高の軍師らしい軍師は誰かと言えば、アタシは伊達政宗に仕えた片倉小十郎景綱こそがナンバー1軍師なのではないかと思います。
今日はそんな軍師の中の軍師、片倉小十郎の居城だった白石城を訪れてみました。


軍師of軍師の居城・白石城

片倉小十郎が知勇兼備の将であることは間違いありませんが、その能力がどれほど凄かったのかと言えば、先に名前を挙げた大原雪斎や羽柴の両兵衛などと比べてみても、明らかに突出しているということはありません。また、他にも強い軍師的人物と言えば、鍋島直茂や島左近、真田幸村などもおりますし、そもそも誰が一番強いか?優秀だったか?などというのはなかなかどうして計れる分かるものではありません。
という訳で、片倉小十郎が"最強"の軍師だったのかどうかと言えば何ともいえないところなのですが、でも小十郎が"最高"の軍師であったことは間違いありません。


石垣造りの立派な城門

なぜなら片倉小十郎とは、主君・伊達政宗にとっての軍師であることのみならず、師匠であり親であり兄弟であり、片腕であり片目だったという、正に政宗にとっては自分のすべてを預けられる存在だったからなのです。


でもやっぱり土塁の方が好きw

片倉小十郎は政宗の10歳年上で、政宗が梵天丸と呼ばれた子供の頃から剣術や学問の指南役を務めておりました。梵天丸は、幼少の頃に疱瘡で右目を失い、しかもその右目がそのまま垂れさがっているという醜い顔をしておりました。そのため梵天丸は母親からも疎んじまれ、いつも暗い表情で、鬱節した毎日を送っていたのです。
このままではいかん!梵天丸様はその内には大器の片鱗を秘めている…でもこの右目のためにその大きな可能性を自ら閉ざしてしまっている…かくなる上は!!!!

小十郎:
「梵天丸様! その右目が憎いか!? ならばいっそのこと斬り落としてやりませぬか!? これからは小十郎が梵天丸様の右目となりましょう!」

梵天丸:
「なんと!そんなことが出来ると申すか!」

小十郎:
「できるかどうかは斬ってみなければ分かりませぬ。でも今やらねば梵天丸様の顔は一生そのままです! それでもイイのですか!?」

梵天丸:
「むむむ…」

小十郎:
「もし失敗するようなことがあれば…この小十郎、切腹して果てる覚悟にあります。」

梵天丸:
「小十郎…おぬしがそこまで言うのなら、俺も男にならねばなるまい! さあ一気にやってくれ小十郎!」

こうして梵天丸は覚悟を決め、小十郎はその醜く垂れさがった右目をバッサリ短刀で斬り落としてしまったのです!
結果、小十郎の荒療治は成功し、梵天丸は眼帯をしていれば普通に見られる顔となったのでありました。こうして、いつも顔を隠して下を向いていた梵天丸は、正々堂々前を向いて歩き始めたのです。


天守閣からの眺め

このことにより小十郎と梵天丸との間には確固たる離れられない絆が生まれ、梵天丸少年は小十郎青年から多くのことを学んで大きく成長することとなったのです。
梵天丸が伊達藤次郎政宗として元服し、家督を継いでからも二人の絶大なる信頼関係はそのままに、小十郎は戦に政治に外交に、政宗の片腕として片目として政宗を支えて行ったのでありました。


最高の軍師ここに眠る

アタシはそんな片倉小十郎こそが最高の軍師であると思います。主君にこれ以上無く愛され信頼されながら、そのうえトップクラスの実力まで兼ね備えていたのですから。
戦国"大名"としては最強レベルのリーダーである伊達政宗と、戦国"武将"としてはトップクラスの実力を持つ軍師の片倉小十郎の二人がココまで美しカッコいい主従関係を結んでいたなんて本当シビレてしまいますね(><)


俺が行かずば誰が行く

小十郎は戦においても常に先陣を務め、誰よりも先に戦場を駆けていたそうです。小十郎がこんなことを言った記録は何処にも無いのですが、政宗の右目をブッタ斬り、反対派を押し切って我先に政宗と共に小田原に参陣した小十郎のことを、これ以上表す言葉は無いでしょう。
そんな伊達政宗の片腕どころか片割れ半身と言ってもイイ小十郎は、江戸時代になって一国一城令が下された後も、特別に伊達藩内に支城を持つことが許されました。それがこの白石城なのです。
小十郎が城主になったのは関ヶ原の後なので、特に戦国らしい出来ごとがあった城という訳ではありません。という訳で今までココには訪れていませんでした。でも、俺が行かずば誰が行く…政宗&小十郎大ファンとしては訪れてみるべきですよね。二人の魂を感じるために☆
それにしても、郷土の英雄が片倉小十郎という白石市民のことがもんげー羨ましいです(><)

白石城
宮城県白石市 JR白石駅から2キロくらい

片倉家廟所
宮城県白石市 国道113号線 白石城から5キロくらい

ところで阿梅姫って一体誰だYO!と思ってウチ帰ってきて調べてみたら…片倉小十郎の長男の側室となった真田幸村の娘なんだそうです。そんなの初めて聞きましたよ(^^;
それにしても戦国って奥が深いですまたまた自分の未熟さを思い知らされました(><)


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