試衛館跡〜沖田総司終焉の地 〜都内新撰組探訪〜 (2016.6.11)

試衛館跡 〜誠と剣術のあの日々〜

嵐の幕末に己が士道を貫いた剣客集団・新撰組。誠の旗印のもと、最後の最後まで幕府に忠誠を誓った彼らは今も真のサムライとして語り継がれております。でも実のところ、新撰組設立当初のいわゆる試衛館メンバーの殆どが、実はまともな武士の子とは言えない生まれであり、局長の近藤勇、副長の土方歳三に至っては、由緒正しい農家の子でした。
でもなればこそ近藤と土方は、近頃のナマクラな武士以上の本物の武士たらんと己を磨きます。ヘナチョコ武士にまけてなるものかと厳しい剣の修行に明け暮れた近藤は、剣術道場・試衛館の館長・天然理心流三代目宗家・近藤周作の養子となるまでになったのでありました。


今から150年ほど前、このへんに試衛館という剣術道場がありました。

その後、紆余曲折を経て新撰組を結成し、近藤も土方も正式に幕臣として取り立てられたのは御存じのとおりかと思います。でも果たして、そうして手に入れた幕臣の座が近藤や土方の理想のものだったのでしょうか?
最盛期で200名までに膨れた隊士の中にはナマクラ剣士も相当数混じっていたようですし、局長の近藤自身、かつての自分が最も嫌った己が体面と出世ばかりを気にする俗者幕臣になり下がっております。


輝いていたあの日々・・・

やがて戊辰戦争に敗れて新政府軍に捕まった近藤勇が斬首の刑に処せられることになったとき、きっと思い出したのは試衛館での日々だったのではないでしょうか? ただひたすすら純粋に、誠の武士にならんと剣の修行に打ち込んだあの頃を・・・
東京都の真ん中にひっそり立つ試衛館道場跡地の碑の前で目を閉じると、近藤と土方が打ち合う鋭い竹刀の音が聞こえてくるようでした。

試衛館跡
東京都新宿区 都営大江戸線牛込柳町駅から徒歩5分


沖田総司終焉の地 〜斬れなかった黒猫〜

人斬り最精鋭集団新撰組にあって更に最強を謳われた天才剣士・沖田総司。試衛館以来の近藤・土方の同志である沖田は、新撰組結成当初から重要な任務の際には常に最前線で活躍しておりました。
でも沖田には肺結核という致命的な持病があり、まさにこれから維新の嵐が吹き荒れようという池田屋事件の直後に血を吐いて倒れます。その後の沖田は病に蝕まれた体を騙し騙し人斬り任務をこなしていたのですが、鳥羽伏見の戦いの頃には病気療養に専念せざるを得なくなっておりました。


逃れ逃れて来たのは江戸千駄ヶ谷

新撰組の象徴的存在ともいえる沖田は、数え切れぬ仲間たちを斬られた維新志士達にとっては賞金首のような存在でした。
維新志士達の追撃を逃れ逃れ、沖田が最後に落ち着いたのは現在の東京都千駄ヶ谷にある植木屋平五郎の屋敷でした。


なぜか持ってる菊一文字のレプリカ(35000円!)

ある日沖田が庭先に出てみると、目の前に一匹の黒猫が現れました。その黒猫に不吉なものを感じた沖田は愛刀・菊一文字をひっさげてその黒猫を斬り捨てようとするも斬ることができなかったのです・・・
なぜ斬れなかったのか? 病による体力の衰弱によるのか?あるいは戦いの日々から遠ざかったことにより気力の糸が斬れてしまったのか? いずれにしてもこの一件で沖田は、自分が目の前の敵は問答無用に全て斬り捨てて来た新撰組隊士では無くなってしまったことを悟ったのでしょう・・・間もなく息を引き取ることとなりました。


天才剣士ここに果てる・・・

沖田総司は最後の最後まで、離れ離れになった師匠・近藤勇のことを案じ、

「近藤さんは無事でしょうか?」

と会う人会う人に聞いていたとのことです。
24歳でこの世を去った沖田にとっての新撰組での日々は、きっと誠の誇りに満ちて輝いていた日々だったのでしょう。



植木屋平五郎屋敷跡
東京都渋谷区 JR千駄ヶ谷駅から徒歩10分


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