斎藤一墓所・阿弥陀寺 〜最後の戦場〜 (2015.12.7)

かつて幕末の京都を震え上がらせた恐怖の人斬り集団、新撰組。その選りすぐりの剣技極めし男たちの中において、更に最強の剣士と呼ばれた三番隊組長・斎藤一。幾多の死線を潜り抜け、数え切れぬほどの人を斬って来たであろうこの歴戦伝説の剣士は、会津若松の地に眠っております。


会津若松市中心部の七日町・・・

斎藤一の所属した新撰組の幹部の大半は、局長である近藤勇が館長を務めた剣術道場、試衛館の出身者で占められておりました。斎藤一はそんな同族集団の中でも試衛館以外出身の外様だったにも関わらず、最高幹部である三番隊組長に抜擢されていたのです。
そのうえこの最強剣術集団の中において、局長と違う剣術流派であるにも関わらず、剣術師範までをも務めていたというのですから、いかに斎藤の強さが別格だったのかが分かるでしょう。


かつての激戦地も今は歴史ロマン街道となっています。

幕末戦乱の京都において常に第一線で戦い続けた最強剣客集団新撰組ですが、やはり剣の力だけで時代を変えることはできませんでした。連戦連敗を続けた新撰組は北へ北へと追いやられ、最強剣士・斎藤一は会津若松の地を最後の戦場として選んだのです。


そこにあるのは戊辰戦争犠牲者を祀った阿弥陀寺・・・

斎藤たちの奮戦も叶わず、会津若松城は完膚なきまでに落城させられてしまいました。
斎藤は会津若松城陥落もあとも更に戦い続け、官軍を多いに苦しませるのですが、そこはやはり多勢に無勢、最後はかつての主君・松平容保の説得により降伏しております。
その後の斎藤はなんと!新撰組としての過去を捨ててその正体を隠しながら藤田五郎と改名し、警察官へと転身したのです。西郷隆盛が反乱を起こした西南戦争においても、斎藤一改め藤田五郎は戦局打破のために結成された抜刀隊の一員に選抜され、最も過酷な戦場であった田原坂の戦いでも活躍しております。
やがて年老いた藤田五郎はその晩年、東京高等師範学校にて剣術師範を務めてその生涯を終えています。戦いに次ぐ戦いの人生を駆け抜けた伝説の男は、最後の最後まで最強の剣士として天寿を全うしたのでありました。


伝説の最強剣士ここに眠る

東京にて息を引き取った藤田五郎でしたが、最後の安住の地として選んだのは会津若松でした。
それは最後に居住し、かつ出身地とされる江戸(播磨説もある)ではなく、新撰組の一員として獅子奮迅の活躍をした京都の地でもありません。


最強剣士最後の戦場は・・・

最強剣士の墓標に祈りを捧げたあと、アタシは2kmほど離れたところにある鶴ヶ城へと足を伸ばしました。


斎藤が命を賭して守ろうとした鶴ヶ城

鶴ヶ城へは過去何度も来たことがありますし、今回も当初は全く来るつもりはありませんでした。
でもあの墓標に想いを馳せたその後には、"斎藤一"が最後の戦場として選び戦い抜いたその城に、足を向けずにはいられませんでした。


斎藤も眺めたであろう城下町

かつて戦火の炎に包まれたであろうこの会津若松の町を、こうして斎藤も同じように眺めていたのでしょうか?
伝説の最強剣士・新撰組三番隊組長、斎藤一。その墓標は彼にとっての最後の戦場となった会津若松の地にあります。

斎藤一墓所
福島県会津若松市七日町 阿弥陀寺


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