長島城 〜戦争と平和〜 (2013.9.20)

織田信長と一向一揆が死闘を繰り広げた、伊勢(三重県)尾張(愛知県西部)国境付近にあった水城です。


残っている史跡はこれだけですが

この長島城は、木曽川と長良川に囲まれた三角州に位置する天然の要害で、信長はその鎮圧に散々に手を焼きました。この伊勢長島の一向一揆勢は、織田家四天王の一人・滝川一益をも敗走させ、信長の弟・信興(のぶおき)までも討ち取っているというのですからタダ事ではありません。それも尾張那古屋からほんの10キロ程度しか離れていない場所での出来事なのですから、信長の焦りも相当なものだったことでしょう。


水堀の名残は残っております

信長が信長包囲網を解いて長島攻めに本腰を入れることが出来たのは、一揆衆が蜂起してから実に4年もあとのことでした。信長の可愛い弟を殺した長島一向一揆勢に対する怨念はすざまじく、アリの子一匹這い出る隙も出来ないほどに長島城を包囲します。最後は降伏して来た一揆勢をだまし討ちにして男女問わずに農民2万人を焼き殺してしまったのでありました。。


今から450年前にはこの場所で…

そんな悲劇の長島城跡には現在、小学校が建っております。なんとも凄い場所に学校を建てたものだなあと思うのはアタシだけではないでしょう。
でも逆に言えば、そんな悲劇があった地が、いまや子供が楽しく集い学ぶ学校になっているということは喜ばしいことのようにも思えます。いつまでもそんな戦乱の時代が続かずに、平和な世の中が訪れたということなのですから。

さてこの長島城、デルタ地帯に築かれた堅城として有名なだけあって、その湿原地形は見事なものでした。


川の間に道路があるぞ?

橋の上に信号機と交差点があって三角州を車が走っている光景なんて、生まれてこの方初めて見ましたよ。


なんぞこれw

こりゃあ織田信長をもってしても攻略に4年もかかってしまう訳ですわ。

伊勢長島城
三重県桑名市 阪名道・長島インターより10分


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