皆さんは長野業正(ながのなりまさ)と言う人をご存知でしょうか? また、上泉信綱(かみいずみのぶつな)と言う人をご存知でしょうか? 恐らく大抵の人が知らないでしょう。知っている人は、きっとそれなりの戦国マニアあるいは剣豪オタクだと思います。今回訪れた箕輪城は、そのマイナーながらも実は相当な実力者である長野業正と、その配下の剣豪・上泉信綱がいた上州・群馬県の城です。え?この二人はいったい何者なのかって? それはまたおいおいと…
日本百名城の一つだそうです。
ってことでこの箕輪城、かつて城主であった長野業正の知名度と比例して、残念ながらマイナーです。アタシはむしろこういう城址の方が好きなのですが、堀や矢倉や天守閣なども残ってはおらず、一見すればただの小高い丘であるところもマイナーたるゆえんなのでしょう。
立派なのはこの石くらいなもの?
でもこの箕輪城、この長野業正と上泉信綱のことを知っている戦国オタからすれば、垂涎もののスポットなんですよね。実際、この日アタシが城址巡りをしていて巡り会った観光客は、自分を除いて4人ほどしかいなかったのですが、みんながみんなアタシ同様、男一人でひたすら写真パシャパシャ撮っている戦国オタっぽい人ばかりでしたからw
誰もおりませんw
そんな箕輪城、一見するといかにも「お城」っぽいものはまるでなく、ひたすら盛られた土と広場ばかりなのですが、真の戦国オタにとっては、むしろこういうのこそが城なのですよ。
石垣の代わりにあるのは土の壁
だって我々が日本の城と聞いてイメージするであろう姫路城のような天主や石垣、堀などは、戦国時代には殆ど使われていなかったのですから。戦国時代の城と言うとその殆どは、小高い丘の上にある土塁に囲まれたものだったのですよ。
本丸跡ですが…
やっぱり土塁ですw
ココにはどんな建物が建っていたのかなあ?
とは言ったものの、昔の城にも一応石垣もあるにはありますが、後世のそれほど立派なものではありません。その石垣を組む技術ってのは戦国時代が進むにつれて発展して行ったものなのですから。
これでも一応石垣w
古城レポートにおいてアタシがいつも書いていることですが、えてして戦国時代の城なんてものは、「なんでこんなに出入りするのに疲れ場所に立てるんだYO!」ってな具合な場所に建っていて、探索するのにエラく疲れるものなのですが、この箕輪城については全然そんなことはありませんでした。
これなら疲れないぞ☆
城を一周することが出来る遊歩道は、山道は山道でも傾斜は比較的緩やかだし、山城お約束の超傾斜石段もありません。林と土塁の間の道を抜けながら、たまに立っている看板で石垣や曲廓の解説にうなずきながら遊歩道を一周するのにかかる時間はおおよそ20分。
分かりやすい解説
この箕輪城を訪れれば、気軽に楽しく心地よく、戦国時代の城とはどういうものだったのかが実に良く分かることでしょう。
楽しいお城巡りの始まりです☆
…って城の解説ばっかしで、肝心の長野業正と上泉信綱のこと全然説明しておりませんでしたごめんなさい(^^;
まずは長野業正なのですが、この人は最強戦国武将候補の一人に上げてもイイくらいの強者だと思います。なにしろあの武田信玄を持ってして、
「業正が一人いる限り、上州(上野・群馬県)を攻め取ることは出来ぬ」
と言わせしめ、実際、武田信玄の侵攻を6回にわたって防いだと言われているのですから。
そんでもってもう一人の上泉信綱なのですが、この人は柳生宗厳や丸目長恵と言った剣豪の師匠を務めた、戦国時代の最強剣豪候補の一人に数えられている剛の者です。
かつてこんなにパネェ二人が同時に居城し、尚且つ戦国時代の遺構が沢山残っているという、戦国マニアにとっては実にオイシイこの箕輪城。なぜこんなにマイナーなんでしょうね?
箕輪城 関越自動車道・前橋インターから30分
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