稲村ヶ崎 〜いざ、鎌倉を目指さん!〜 (2010.9.21)

鎌倉とは、源頼朝が本拠地に選んだだけあて、三方を山に囲まれていてもう一方は海という実に攻め難い地形である。アタシが小学生のときに読んだ学習マンガ・源義経にそんなことが書いてありました。
そんでもって同じく、アタシが小学生のときに読んだ学習マンガ・足利尊氏には、そんな攻め難い鎌倉を、新田義貞は引き潮のときを狙って海岸沿いに攻め上がって攻略したと、そんなことが書いてありました。また、更にその後、義貞は鎌倉を攻めるに当たり、潮が引く日時を計算したうえで海の神に剣を奉納して祈りを捧げ、あたかも神の意思で鎌倉への道を切り開いたように皆に思わせて士気を鼓舞したなんて知識も得ることになりました。

と言うわけで、この新田義貞が剣を奉納して攻め上がって行った海岸は、アタシが小学生の頃から行ってみたいと恋焦がれていた場所でして、今般ついにその夢が叶ったのでありました。

この新田義貞が剣を奉納した場所と言われる稲村ヶ崎・・・ココから鎌倉まで続く由比ヶ浜はグルリ湾曲していて、この由比ヶ浜を切断するように立っている稲村ヶ崎と呼ばれる岩場を越えれば、ずっと浜沿いにウオーって行けそうな絶妙な場所です。


この岩場を超えられれば・・・

そんでもってココだけ突出した岩場なんで、祈りを捧げて神剣を海に放り投げるのも実に絵になりそうです。

・・・でも正直なところ、新田義貞がココで神剣を奉納したって「伝説」は、ウソかもしれません。
そうは言ったものの、新田義貞が海沿いに鎌倉を攻めて攻略したってことは史実ですし、この稲村ヶ崎を通って行ったことも間違いないでしょう。それならば、新田義貞もきっと、この稲村ヶ崎から由比ヶ浜を眺めていたことでしょうし、あの白く輝く砂浜を、新田義貞率いる坂東の武士たちが駆け上がって行ったことも間違いないでしょう。


あの向こうに鎌倉が・・・

稲村ガ崎の岩の向こうに見える由比ガ浜・・・さらにその向こうにある鎌倉の方向を眺めていると、これからいよいよ敵の本拠地に乗り込まんと武者震いする義貞の荒い息遣いが聞こえて来そうです。また、白く輝く砂浜には、疾走する騎馬軍団が見えてくるようでした。


新田義貞の記念碑もあります


稲村ヶ崎 江ノ島電鉄・稲村ヶ崎駅から徒歩5分



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