古津八幡山遺跡 〜弥生時代の山城〜 (2016.5.5)

アタシの住む新潟市を取り囲む低床な山々の一部に、弥生時代の遺跡があったりします。


その名も古津八幡山遺跡

この古津八幡遺跡は高地性環濠集落というヤツで、言って見れば元祖山城と言ってもイイでしょう。


だってほら、これがあるしw

というものこのとおり、集落を囲むようにみんな大好き☆土塁があるからなのですよw


これぞ古代の総構え?

ふつーの人ならこんな遺跡を見れば真っ先に竪穴式住居の方に目が行くことでしょう。でもやっぱり山城マニアのアタシとしては、注目すべきは古代脈絡延々と続く土塁の方なんですよねw
土塁があるということは、それは外からの侵略を防いでいたということです。一見するとなんともどのかな生活を送っていそうな弥生人ですが、少ない食べ物をめぐって部族間で戦っていたからこそ、こんなものを作っていたんですよね。
最初は土塁だ土塁だと無邪気に喜んでいたアタシですが、人類はそんな太古の昔から争っていたんだななんてことを考えるとちょっと複雑な気分になりました。


いやもちろん、こっちも見ごたえばっちりですよ☆

さてこの総構えの内側には、このように綺麗に復元された竪穴式住居がたくさん並んでおります。


中はなかなか快適?

竪穴式住居の中にも入ることは出来るのですが、残念ながら内部までは弥生人の生活跡の復元はされておりませんでした。それでも外から覗いてみるだけでも、その住み心地は結構良さそうには思えました。


環濠集落の本丸跡?

この古津八幡山遺跡において一番高い場所かつ見晴らしのイイ場所には古墳がそびえ立っております。
もしこの小山に城を築くとしたら、間違いなくこの場所が本丸になることでしょう。


古墳のてっぺんからの眺め

こうして古代の環濠集落を歩いてみると、そのコンセプトは正に山城と一緒なんだということが分かりました。
なるほど、ふだんアタシが探訪している戦国の山城ってものは、太古の弥生から延々と受け継がれた技術の集大成だったってことなんですね。城がそうなら、古代人が用いた弓や石器にしたって同じです。それが改造改良を重ね、対人兵器となって進化して行ったんですからね。
おかしいなあ・・・最初は弥生人の自然と一体なのどかな生活を感じてほのぼの気分になろうと思ってこの遺跡に遊びに来たつもりだったのに(^^;
こんなとき、歴史オタをやってて良かったようにも悪かったようにも思えます。

古津八幡山遺跡
新潟市秋葉区 JR古津駅から徒歩20分


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