月山富田城 〜埋もれた英雄の巨城〜 (2012.7.17)

皆さんはこの月山富田城という城をご存じでしょうか? また、ここ出雲(島根県東部)に本拠を置いた尼子という一族のことをご存じでしょうか? おそらくは地元の人以外、戦国好きでなければこの城の存在自体知らないでしょうし、尼子一族にしても、なんとなく名前くらいは聞いたことがあるという程度のものでしょう。
でもだからと言って、月山富田城も尼子一族も軽く見てはいけません。尼子一族は英傑・尼子経久の活躍により最大時には100万石以上の勢力を張った中国地方の雄として君臨しておりましたし、その居城である月山富田城は難攻不落の超巨大城郭として名を馳せていたのですから。
ではなぜこの両者がいま一つマイナーなのかと言えば答は簡単です。それは戦国中期には毛利元就の手によって滅ぼされてしまっていたからです。その後も月山富田城自体は存在していたはいたものの、毛利一族はその後、月山富田城を特に本拠地としては使わなかったがために、いま一つマイナーな城になってしまったのです。



これは強そうだ

そんなマイナーながらも実は大大名の巨大城郭だったという月山富田城、実際に足を踏み入れてみると、なるほど確かにこれは、歴史の影に埋もれさせてしまうにはあまりに惜しい大要塞でした。
まずなんと言っても月山富田城に驚かされたのは、その裾野の広さとそれを取り囲む石垣郡の連なりです。


で、でかい!

アタシはかつて沢山の山城を見てきましたが、城郭の巨大さという点においてはこの月山富田城がダントツだと思います。まずはその要塞としての規模に圧倒させられてしまいました。


そんなにグルグルしなくても(^^;

次に本丸に続く道ですが、これはまたいつものアレです。「なんでこんなに出入りするのに疲れる場所に立てるんだYO!」ってヤツなんですが、今回はその疲れ具合のレベルが段違いでした。
なんでもこの登城口は七つ曲がりと呼ばれており、これはその名の示すとおり、七つの曲がり角があるグルグル道なのですよ。このウザさとダルさはアタシの経験上では、あの難城of難城・千早城に次ぐくらいすざまじかったです。


これで二の丸なんだぜ

そんなこんな20分ほど歩いて辿り着いた本丸跡は、もちろんいつものアレです。何もない、だがそれがいい。


いつものヤツねw

それにしてもやはり、山城の本丸からの眺めというのはイイものです。この月山富田城の本丸から下界を見下ろしてみると、不思議とどんな大軍が押し寄せてきても絶対守り切れそうな気がしてきます。こんな感覚になったのは、この月山富田城が初めてかもしれません。とにかくこの月山富田城は、安定感安心感はとても抜群だなと思いました。


落ちる気がしねえ

・・・でもそんな月山富田城も、最後は毛利元就の謀略によって見事落城させられるんですけどね。こんな名城を見事落とした毛利元就はやっぱりタダ者じゃないってことも改めて実感させられました。

さてこの月山富田城登城についてなのですが、実はちょっとした地元の人とのふれあいエピソードがありました。
新潟ナンバーの車から降りてきたアタシを見て、なんと伐採工事をしていた地元のおじさんが、アタシに
「アンタ新潟から来たんかい。春日山城と比べてココはどうかね?」
なんてことを聞いてきたのですよ。
それに対してアタシは、
「春日山城なんかよりこの月山富田城の方がぜんぜんデカいっすよ。」
と答えると、
「そうだろそうだろ。なんにせ200万石の尼子の城なんだからなあ。」
と嬉しそうに答えてくれたのです。
それから、あの向こう側の山に毛利元就が対陣していたこととか、月山富田城が落城したのは、元就の内部工作による切り崩しがあったからとか、いろいろ楽しそうに話してくれました。われわれ東国人にとってはちょっとマイナーな月山富田城&尼子一族ですが、やはり地元の人にとっては誇るべき文化遺産であり、愛すべき故郷の英雄なんですね。


月山富田城
島根県安来市広瀬町


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