熱田神宮 〜天は我に味方せり! (2013.9.17)

名古屋駅から2駅の場所にある熱田神宮は、明治神宮、伊勢神宮などと同等の格式を誇るエラいエラい神宮です。そんなご利益高そうなお宮様にいったい何をお願いしに行ったのかと言えば、実はお参り目的では無かったりします。
アタシの歴史旅のコンセプトは、歴史上の何かがあった場所に行き、歴史の当事者たちはそのときその場で何を思ったのかを想像するというものです。ならばこの熱田神宮で何があったのかと言えば、あの第六天魔王と呼ばれた神をも恐れぬ織田信長が、よりにもよって熱田の神に戦勝祈願を行ったというのですからタダ事ではないのですよ。


めちゃくちゃ広い!

1560年5月・・・尾張の国は揺れに揺れておりました。
今川義元の大軍が尾張に向けて進軍中! 丸根と鷲津の砦を陥落させて、いよいよ本拠地の清洲城も風前の灯火か!? という非常事態だというのに、主君の信長は一向に動こうとしません。ロクに軍議にも顔を出さない信長に家臣一同は呆れ返り、もはや尾張もこれまでかと落胆していると、信長は突然舞いを舞い始めたのです。

人間五十年、下天のうちをくらぶれば・・・

きっと家臣一同はコイツいったい何を血迷っているんだと目を疑ったことでしょう。そんな呆然状態な家臣たちを横目に、今度は信長は突如鎧を着込んで馬に乗って走り出したのです。

「おぬしら何をボサっとしておる! 今すぐ出陣だぎゃー!」

信長が動かなかったのは義元軍の動向を探っていたためで、義元軍の居場所が分かったからこそのこの急な出陣。信長が舞った「敦盛」とは、人生たかだか50年なんだからせめて一花咲かせようではないかとの決意表明。
ココにきてようやく信長の真意を悟った家臣たちは、ただ一騎駆け出して行った信長の後を追って行ったのでした。


信長の駆けた道?

このとき信長が向かった先こそが熱田神宮だったのです。この熱田神宮で信長は戦勝祈願をしつつ部隊の集結を待ったとのことです。
昔は何かする際の集合場所には、分かりやすく広いという理由で神社がよく使われておりました。なので部隊の集合場所に熱田神宮を選んだからと言って、神をも恐れぬ信長が、本気で神に祈ったかどうかは分かりません。


お祈りしたくなる社

実際に熱田神宮に足を運んでみると、この荘厳な雰囲気で静まり返った鎮守の森に足を踏み入れて、お祈りしようという気にならない人はいないのではないかと思いました。なのできっと信長も、熱田神宮の神様に本気で戦勝祈願をしたのではないかと思いたいところですが、やっぱり信長は信長なんですよね。これがもし、家康や秀吉だったれば、きっと戦勝祈願をしたんだろうなと思うところですが、信長だったら話は別だなとも思えるんですよ。


ここに全軍集合?

どっちにしても、信長がこの熱田神宮を訪れて部隊を集結させて、それから降り出した雨を見て、

「天は我に味方せり!」

と叫んで桶狭間に向かって進撃して行ったことは事実です。その時の信長の気持ちはまるで想像がつきませんでしたけど、この場所で信長が部下に対して檄を飛ばして出陣したんだなと思うだけで胸が熱くなりましたので良しとしておきましょう。
信長が本気で神に祈ったのか祈らなかったのか? もしもいつかタイムマシンが発明されることがあるのなら、ぜひとも信長に聞いてみたいところです。

なおいつものパターンだと、このまま桶狭間古戦場跡に出撃するというのが定石なのですが、残念ながら桶狭間の戦いが何処であったのかはハッキリしていないのですよ。
それでもいちおう、ココこそが桶狭間古戦場跡だ!と言い張っている場所が二つほどありまして、それぞれが我こそが本物であると主張していがみあっているとのことです。
なんともスケールの小さいことで、悲しくなって来ますね。

熱田神宮
愛知県名古屋市熱田区 JR名古屋駅から2駅


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