新井城 〜静寂の古戦場〜 (2010.9.21)

アタシは総合日本史マニアであることを自負しておりますが、そのアタシが全日本史上の人物で2,3を争うくらいに好きな人物に北条早雲と言う人がおります。
新井城とは、徒手空拳から戦国大名となって伊豆・相模を支配した北条早雲の最後のライバル・三浦義同(みうらよしあつ)なる人物が最後に立てこもっていた海沿いの城です。
早雲がこの新井城を攻めたとき、なんと!齢は84にも達しておりまして、しかもこの城を攻め落とすのに3年間も包囲したってんだから凄いものです。
アタシの大好きな北条早雲がそこまでの執念を燃やして攻め落とした新井城・・・
三浦義同が強い強い早雲相手に3年間も持ちこたえることが出来た新井城・・・
そんな凄パネェ城にいつか行ってみたいと小学校6年生当時からずっと思い続けておりまして、今になってようやくその願いが叶ったのでありました。


何度読んだか分からないw学研まんが北条早雲

三浦半島の最先端にあるこの新井城は、タダでさえ目立たない辺境な三浦半島奥地の、更に小さな半島地形の先っぽの静かな場所にあります。
かつて難攻不落の名城だった新井城の跡には、今は東大地震観測研究所が立っており、そこで足掛け3年にも渡る大篭城戦が行なわれたおもかげなどは微塵も残っておりません。なるほど確かに、三方を海に囲まれたこの地に城を作れば相当攻めにくいだろうなあと想像はつきますが、現在において実際そこにあるのは、落城の際に城兵の血で赤く染まったと言われる油壺湾に囲まれる、小高い丘陵地に生い茂る木々だけです。


本当にココで大激戦が?


油壺湾は何も語ってくれません

かつての古戦場に来るといつも思うことですが、大激戦のあった場所というのは、こうしてひっそり静かに眠るような場所である方が、むしろいろいろ感じるものがあるものです。
静かに佇む油壺湾とセミの声しか聞こえてこない雑木の丘ですが、そこはやはり、紛れも無くかつて早雲と義同が死力を尽くして争った戦場跡でした。


史跡はこれだけ


新井城 油壺マリンパークすぐそば

※2020.4.19追記
最近の研究では、北条早雲の生誕地は備前(岡山県)であり、その出目は室町幕府の高官・伊勢氏の一族であるということがほぼ確定しております。
また、年齢にしても享年は64歳だったということが定説になりつつあります。



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